アドラー

ラジオを聞いていたら、岸見一郎さんという方の講演が放送されていました。

親が勉強しない子どもに「あなたは本当は勉強ができる子なのよ、がんばって」というと、子どもは、可能性のなかに生きていたいために、さらに勉強をしなくなる。勉強して成績がそれほど伸びない場合もあるので、その事実に直面することを恐れるからだ。


なるほどね、と思いネットで調べてみると、哲学者・心理学者で、とりわけアドラーについての著作が多い方みたい。「嫌われる勇気」という本がベストセラーになったのだとか。

フロイト、ユングと並び称されるアドラー。よい機会なので入門書から読んでみようかと岸見一郎さんの本を検索していたら、「子どもを伸ばすアドラーの言葉」という育児本が目に留まりました。育児のなかでも、勉強を主軸に据えた内容。

すぐに読みたかったのでKindle版を購入しました。

私の育児観と同じ路線の内容で、「そうなのよね」と頷きながら読了。平易な語り口なので、あっという間に読めます。

親は、子どもが自分の人生を決めるまでサポートする立場であり、いくら幼くても親と子は対等である。
「親は子どものことを何でもわかっていて、最善の道を選んであげることができる」は大きな誤りである。etc...

まだ幼いとも言える6歳のYくんですが、彼なりの考えや人生観を持っているらしいということが、何かの折りにふと感じられることがあります。
育児の醍醐味ってこれよね、とうれしくなります。

今回得た気づきは、「子どもに《貢献感》を持たせること」の大切さ。些細なことであっても誰かの役に立っているという感覚が、自己肯定感を生むということ。
勉強は近視眼的には自分のためにするものだが、将来誰かの役に立つためのものであるという視点を子どもに導入しておくこと。それが、(知ること学ぶことの楽しさと並んで)学ぶことの強い動機付けになるということ。

とても興味深かったのですが、テーマがあまりにも特化されすぎていたので、もう少し広い視座のものも読んでみたくなりました。
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    《現代》という感覚

    《前回の続きです。》

    switchインタビューを見ていたら、新海誠×川上未映子の回で興味深いことを話しておられました。

    川上未映子さんは子どもの頃から、死というものを強く意識していたそうです。お子さんも、幼いうちから、死やその虚無感について考えたり口にしたりしているのだとか。
    新海誠さんは、ご自身がそうだった記憶こそないけれど、娘さんがやはりそのようなことに言及するのだとか。

    Yくんはそういったことを口にすることはないし、私もそういうタイプの子どもではありませんでした。

    感受性、観念的なところがやはり強い人は強いのかなと、自分をやや残念?に思っていたのですが...。

    そうか、私とYくんは夢で発露するタイプだったのかも!と膝を打ったわけです。
    (競っているつもりはないのですが...その理由は後述。)

    また、新海誠さん発「小説家が水源と技術の両輪で書いている」のくだりでは・・・。
    川上未映子さんは、技術を磨こうと意識した時期がありましたとおっしゃっていて。
    私はうまくなりたいとは思わなくて、ただ、あちらの世界をより正確に、リアルに描写したいという意識はあります。



    現代日本の小説家たち。
    村上春樹も川上未映子も川上弘美も小川洋子も、みんな。
    ちらっと読んだことはあっても、好きにはなれないのです。(川上未映子さんは読んだことはなく、この番組の引用で垣間見た程度ですが...)

    それは、《何か》の匂いがするから。

    まるで、ガン病棟のスーパークリーンルームで、徹底的に処置してもそれでもなお消せない屍の匂いみたい。
    それを嗅ぐと息苦しくなってしまうのです。
    それが《現代》というものの匂いなんだろうな。

    不思議なことに、ラジオで朗読を聞くと、その匂いはそれほど強くはないのです。

    文字を読むというときのダイレクトな惹起作用。他者の声が介在する時の、化学反応後の作用。...その違い。

    だからきっと、作者がが産み出すにおいというより、読み手の私の中から引き出されてくるものなのかもしれないとも思います。

    そういえば、翻訳ものからもその匂いを感じることはあまりないように思います。(同時代の翻訳もの自体あまり読みませんが...。)

    日本特有のにおいということなのか、それとも、小説家と翻訳家という、ふたりの人間の息づかいが混ざりあってしまうためなのか...。

    謎解きをしたいところではありますが、古典好きなので、洋の東西を問わず、なかなか現代ものに手が出せません。

    Yくんとこんな話ができるようになったらすごく嬉しいのですが、さてどうなることやら。


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      夢の中で訪れる場所

      Yくん、昨日夕ごはんを食べながらこんなことを言い始めました。

      ぞう組さんの頃(1年前)にはよく夢を見てたんだけど、よく同じ場所が出てくるんだよ。

      よくよく聞いてみるとこんなところだそうです。
      jail (牢獄)のような小さな部屋で、部屋の形は六角形、床は茶色の木張り。壁は全面窓になっていて、ガラスと窓枠で張り巡らされている。ガラス窓は2重張りで、向こうは何も見えない。
      天井はものすごく高くて見えないほど。
      その部屋に時々不思議なものが現れる。
      緑色のタコがぐにゅぐにゅしていたり、たくさんの人がおどけていたり。
      Yくんはただ立ってそれをじっと眺めているそうです。
      怖い夢ではなく、奇妙な夢なのだとか。

      あぁ、なるほどね。
      と思いました。
      私もよく、夢の中で同じ場所を訪れることがあります。現実にはない場所で、たとえば怖いほど澄んだ強烈なセルリアンブルーの空だったり、朝露にぬれた緑深い草原にたつ白い建物だったり、はたまた毒に侵されかつ奇妙に美しい海の岸辺だったり...。
      たまに怖い人がいても、私を追いかけてくるようなことはなく、私はただそこはかとない不気味さを感じつつ、それをじっと見ている・・・そんなような夢。

      良人に言わせると、Yくんの性格は私に似ているのだそうです。

      あまり、似ているという実感はなかったのですが、今日、すとんと腑に落ちました。似てるわ(笑)

      夢の類型が似ているだなんて、serendipity とはちょっと違うけれど、うれしい coincidence でした?


      ※)Yくんのその話、良人も聞いていましたが、夢を見ないタイプの彼。全くピンと来ないようで、テレビの方に気をとられています。
      対する私、ひとりで「わかるわかる。お母さんもそうなのよ!」と内心ヒートアップして頷いていたのでした。
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