チム・ラビット

「あるばん、チム・ラビットは そっといえをでて、たんけんにでかけました。
 あかりは もって いきませんでした。そのあたりでは、小さなうさぎが よる そとにでかけると、みちを てらしてくれるものは たくさん あったからです。チムのいえのまえの ほそいみちには、のぢしゃの まるい花のあかりが ついていました。いけがきには、おおでまりの花が 月のひかりで、ろうそくのように ひかっていました。なかでも いちばん あかるいのは、そらの上の お月さまでした。」
アリソン・アトリー著『チム・ラビットのおともだち』48頁

イギリスの児童文学家アリソン・アトリー(Alison Uttley, 1884-1976)の《Adventures of Tim rabbit
》をただいま読み聞かせ中。

子うさぎが冒険するお話...といえば、まず思い出すのは、同じくイギリスのビアトリクス・ポター『ピーターラビットのおはなし』でしょうか。

比較してみたくなり、あらためてピーターラビットを読んでみると。
文章の簡潔さに驚きます。ほとんど出来事を記しているのみです。あの豊かな物語性は、ひとえにあのみずみずしい絵によって生み出され、支えられていたのだということがわかってきました。

もともとピーターのお話は、5歳の病気の男の子への絵手紙として作られたものですから、絵と物語がはじめから不可分だったということになります。

一方、アリソンの書いたチム・ラビットはといえば...(とても素敵な挿し絵がついているので申し訳ないのですが)挿し絵の力を借りなくとも、チムの住む世界の様子が生き生きと、そして詩的に描写されています。(※)

「むぎは 金いろに ひかって、もう かりとるばかりに なっていました。むぎのはやしを なびかせて、かぜが とおると、まるで 水が ながれるような おとが しました。」(50頁)

小さなうさぎが息をこらして耳をすませている、その息づかいまでもが聞こえてくるようです。

これぞ語り部?と唸らされる描写は、こんなふうに随所に出てきます。

「それから、カヤネズミおくさんは、くさを かきわけて はしってゆき、すかんぽのはっぱを もちあげてみました。すると、そこには、カタツムリが すわっていて、つゆのたまにうつる じぶんのすがたを じっとみていました。」
同108頁

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ちょうど、少女ビアトリクスがペンをにぎり無心にスケッチをするように、アリソンもまた、言葉によるみずみずしいスケッチを一心に描いて、私たちに見せてくれます。


絵本と児童文学の地平は異なるものではありますが、同じ紙とペンというものを与えられたふたりの女性が、形と記号という異なる媒体を用いながら、同じもの...つまり、生き生きとした自然とそこに暮らす生命とを、そしてまた、ちょっと小粋ないたずら子うさぎを主人公として、描写している...ということに、セレンディピティのようなものを感じます。

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珠玉の児童文学を、我が子と共に楽しむひととき。

子どもと共に、親はもう一度、子ども時代を生き直しているようなところがあると思っています。

花を見たり、望遠鏡で林を観察したり、日の光や夜のひそやかな空気を引き寄せて、「プリズムを通して見るとわかるのだけど、お日様は(およそ)七色の光でできているんだって。夕やけが赤いのは、七色のうちの赤だけが空を通り抜けてくるからなんだって」などと説明していると・・・昔、両親もそんな話を聞かせてくれていたのかもしれない...と、ふと思います。

そのころの自分、つまりいわゆるインナーチャイルドのようなものを、いま私は(非力ながらも)自分自身で慈しむことができるようになっているのだ...と気づくとき。

その力は、両親に、さらにいうなら母に育んでもらってきたものだと思うし、それこそが、自分の子どもに継承していきたいもののように思います。

そんな私の姿を見て、この子はどんなふうな大人になっていくのだろう...世界観や人生観などは、親が意図して示すものよりも、背中が語るもののほうが、よほど大きい気がします。

逃げ隠れもできない裁きの場でもある子育て、本当に恐ろしいものでもありますね。


(※)叙情性を語るのに、翻訳ものでは役者不足かなとも思うのですが、そこはそれ、翻訳者が石井桃子さんなので、原語に勝るとも劣らぬ詩情を伝えてくれていると思っています。
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    宮沢賢治

    うちの小学一年生。
    宮沢賢治「注文の多い料理店」ならおもしろかろうと読んで聞かせたところ、奇想天外な展開にぎょっとしつつも楽しめたようで...。

    他にもなにか読んでと言われ、目次から選んでもらいました。

    図書館から借りてきたその新書は、5〜6年生向けということ。(※)

    「どんぐりと山猫」はまだ1年生にもわかりやすいテーマでしたが、「烏の北斗七星」に至っては、カラスを人間になぞらえつつ戦争のむなしさを浮かび上がらせる陰鬱なお話。

    もう宮沢賢治はいやと言い出すのではないかとカメのように首を縮めた私。

    起死回生の1冊を借りてこようと案を巡らすも...宮沢賢治って童話のイメージのわりに、自然界の弱肉強食の掟や、死の影、人間の愚かしさや冷たさ、虚勢みたいなものが随所に出てくるので、日だまりみたいなor優等生的なものを読ませたいと思うような時には意外にどれも向かないのですね。

    「やまなし」も「ツェねずみ」も帯に身近し襷に長し...とためらっていたら、息子から新たに、またあの本読んでとのリクエスト(嬉)

    選んでもらった「水仙月の四日」は読んだことも聞いたこともなかったので、フィーリングのあうお話でありますようにと祈りつつ読みました。

    とてもピュアなお話で、「銀河鉄道の夜」や「永訣の朝」の、触れればくずれそうなほど純粋なあの宮沢賢治ワールド。
    私のほうがうっとりでした(笑)

    ただ彼の文章は、いくぶん単語や言い回しが古いこと、科学や仏教の専門用語がふっとでてくることなどから、耳で聞いてきちんと理解するのはまだまだ難しいはず。
    話についていけてるのかなあと心配もしますが、あまり細かいところまでわからなくても惹き付けられる魅力にあふれているのはさすが。オノマトペや繰り返しがつくるリズムが体感としておもしろいのかなと思ったりしますが...。頭で聞くのではなく、身体性とでもいうべき心地よさなのですね。

    こういう、意味を離れたところで心をつかむことのできる磁力、これこそほんものだなあなんて感心してしまいます。

    ピュアな幼心と、透徹していながらどこか冷ややかな老成の眼差し。ふたつながらにそなわった、あの美しいヘテロクロミアの瞳のようです。

    (※)収録作品は以下。
    『どんぐりと山猫』
    『狼森と笊森、盗森』
    『注文の多い料理店』
    『烏の北斗七星』
    『水仙月の四日』
    『山男の四月』
    『かしわばやしの夜』
    『月夜のでんしんばしら』
    『鹿踊りのはじまり』
    どういう選定基準かと思ったら、賢治の生前に実際に出版されたものだそうです。短編集はこのひとつのみなのだとか。(夭逝されていますから...)
    たまたまそんなチョイスを手にし、光栄な気持ちになりました。


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      1年生の驚き

      それほどおしゃべりではないY。
      その日起きた出来事も、時々しか話してくれないのですが。

      今日は、帰ってくるなり目を丸くして言いました。
      「お母さん、今日、教室に画鋲が落ちてたんだよ?」

      何よりもまず報告すべき驚愕の出来事だったらしい(笑)

      見つけた子が先生に通報、誰も怪我をしないうちに無事回収されたそうです。

      何の事件性もないけれど...

      きっと、見つけた子から教室全体へと、(あぶないよ...)のザワザワが広がっていったのでしょう。

      ・・・時が止まった教室の様子も想像できます。

      そういえば、幼稚園では壁に画鋲を刺したりしていないから、床に落ちてくることもないのよね。(たぶん...)

      1年生ならではの新鮮な驚き、だったようです。
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